こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はヨハネの黙示録 22章を読みました。

ヨハネの黙示録 22章
本章をもって、ヨハネの黙示録及び新旧聖書の最終章となります。
本章は
「新しいエルサレム」(21章続き、1-5節)
「キリストの再臨」(6-21節)
の、二段落構成でした。(※新共同訳聖書の段落わけより)
以下は、本章を初めて読んだ感想です。
あくまでも受洗半年のわたしが初めて読んだ感想ですので、聖書を詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね。
キリストの再臨
わたしが最後の章を読んで特に心に残ったのは、以下の箇所です。
11 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。(ヨハネの黙示録22章11-12節)
不正な者も汚れた者もそのままにしておけ、とは、随分投げやりな、と思ってしまいますが、福音書に出てきた「毒麦のたとえ」を思い出します。
箇所は忘れてしまいましたが、四大福音書のどこかに、このような例えがあります。
ある農夫の麦畑に、悪者がこっそり毒麦の種を仕込む。農夫の僕たちはすぐに毒麦を刈り取りましょうと言うけれど、主人は「今刈り取ったら、誤っていい麦まで刈り取ってしまうかもしれないから、成長するまでそのままにしておきなさい」と言いました。
成長すれば、毒麦は背丈が長くなるので一目瞭然。まとめて刈り取って火の中に投げ込まれる、というものです。
今の世の中に悪者がはびこっているように見えるのは、きっとこの例えに沿ってのことなのだろうなと思います。
どれだけ成長して、勝ち誇っているように見えても、毒麦は必ず刈り取られて、火の中に投げ込まれます。
同様に、不正な者や汚れた者にも、裁きは下ります。
キリストの再臨の際には、もはや悔い改める猶予もないそうです。
神様がこれまでさんざん、忍耐して待って、悔い改める機会を与えてくれたにも関わらずそれに従わなかった人達には、容赦なく裁きを下すのが神様です。
神様が忍耐して待って下さっているあいだに、全ての人が悔い改めて主の救いにあずかることを祈るばかりです。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!