こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はヨハネの手紙二を読みました。

ヨハネの手紙二
ヨハネの手紙二は一章のみで、
「挨拶」(1-3節)
「真理と愛」(4-11節)
「結びの言葉」(12-13節)
という、シンプルな構成でした。(※新共同訳聖書の段落より)
以下は本手紙を初めて読んだ感想です。
あくまでも、受洗半年のわたしが初めて読んで思ったことですので、聖書をお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
キリストの教えを越えようとする者は上に結ばれていない!
本手紙は、第一の手紙同様、書いてある内容は「互いに愛し合うこと」と「神が愛であること」など、愛にあふれた内容に一貫していました。
特に大事と感じたのは以下の箇所です。
だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。(ヨハネの手紙二 9節)
ここで言う「キリストの教えを越えて」というのは、極端な解釈をしたり解釈をねじ曲げたり、勝手に全然違う教えを結びつけたりする、いわゆる「異端」のことを指すのでしょうか?
そのようなニュアンスも感じますが、広くとらえれば、キリストを神だと認めなかったり、教えをちゃんと守らないことを言っているものと思います。
これもヨハネの手紙一から一貫して言われていることですね。
でも、このようなキリストの教えを越えて、惑わそうとする者が大勢出てきている、と、この手紙の7節には書いてあります。
この長老ヨハネが生きていた時代に限ったことではないと思います。
キリスト教と一見よく似た、でも本質的には非なる異端の宗教はたくさんあるし、ユダヤ教のように、旧約聖書だけを信仰していてキリストのことは認めていない宗教もあります。
でも新約聖書には、「だれであろうと、キリストの教えを越えてこれにとどまらない者は、神に結ばれていません」とはっきり書かれています。
このような似て非なる異端の宗教にも惑わされてはいけませんが、自分勝手に解釈して、逆に自分が惑わす側にならないよう、気を付けたいものです。
教えにちゃんととどまっている人には御父も御子もいるとあるので、いてもらうことによってますます教えにとどまれるよう、祈ろと思います。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。