こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はヤコブの手紙 4章を読みました。

ヤコブの手紙 4章
本章は
「神に服従しなさい」(1-9節)
「兄弟を裁くな」(11-12節)
「誇り高ぶるな」(13-17節)
の、三段落構成でした。
※新共同訳聖書の段落より
以下は本章を初見した感想です。あくまでも一般人の感想ですので、聖書をお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
得られないのは願い求めないからで、願い求めても得られないのは間違った動機で願い求めるから
わたしが本章を読んで特に大事と感じたのは、以下の箇所です。
得られないのは、願い求めないからで、3 願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブの手紙4章2-3節・一部抜粋)
1章には「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい(5節)」とありましたが、願い求めなければ与えられません。
願い求めても、自分勝手な、間違った動機で求めたのでは、与えられません。
それこそ、3章に出てきたような「純真で、温和で、優しく、従順な」動機で求めなければいけないのだろうなと思います。
例えば、口が物凄く達者でいつも一方的に考えを押し付けてくる人がいたとしたら、
「イエス様、あいつをぎゃふんと論破できるよう、わたしをあいつより弁の立つ者にして下さい」
と祈るのではなく
「あの人に何を言われても精神が病まないように心を守って下さい」
と祈ればいいと思います。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。