こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はテサロニケの信徒への手紙一 2章を読みました。

テサロニケの信徒への手紙一 2章
本章は
「テサロニケでのパウロの宣教」(1-16節)
「テサロニケ再訪の願い」(17-20節)
の、二段落構成になっていました。
新共同訳聖書を読んでいます。
以下は本章を初見した感想です。
専門家の「解説」ではなく、あくまでも一般人の「感想」です。
きちんと聖書をお知りになりたい方は、お近くの教会に行って牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
神の言葉として受け入れたあなたがこそ、わたしたちの喜び
わたしが本章を読んで特に心に響いたのは、以下の2箇所です。
わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。(テサロニケの信徒への手紙一 2章13節・抜粋)
(中略)
実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。(テサロニケの信徒への手紙一 2章20節)
キリストの「キ」の字も知らなかったテサロニケの人達が、パウロの伝道によってキリスト知り、パウロの言葉を神の言葉として聞くことが出来るようになるには、相当な時間と労苦があったものと思います。
イエス様を知って受け入れた人、心に聖霊を迎え入れた人でなければ、パウロがしゃべっていることは全部パウロの言葉にしか聞こえないですからね。
「これは神がわたしを通して語っておられる言葉だ」と言われたって、「うわっ、この人大丈夫??うさんくさー」と思われるのがオチです(苦笑)
でもイエス・キリストを知り、心に迎え入れた人には、不思議と神様に言葉が分かるようになってくるんですよねー。
これは言葉では説明するのが難しいのですが、紅茶好きの人が「マスカテルフレーバーはマスカテルフレーバー。他に言いようがない。飲めば分かる」とおっしゃっているのと近いでしょうか??
(上手い例えが他になくてすみませんm(_ _)m)
それくらい一般人にはよく分からないことが出来るようになった、イエス・キリストを信じて心に迎え入れてくれたことは、伝道者パウロにとっては、この上ない喜びだったのだろうなと思います。
テサロニケの信徒については、これまでに読んだ手紙にも時々登場し、クリスチャンの鑑のような人達のように書かれてましたもんね。(ちょっと該当箇所は思い出せないのですが;;)
まとめ
でも「わたしもそんな伝道者になりたい!」とは、今は思わないでおきます(苦笑)
思ったらプレッシャーになるので;;
ノンクリスチャンの方がめでたくイエス様を信じてくれた暁には、大喜び出来る人間ではありたいと思います。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。