こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はコリントの信徒への手紙一 14章を読みました。

コリントの信徒への手紙一 14章
〜預言と異言について〜
本章には、「預言」の大事さが書かれています。
「異言」はその人の内の聖霊様が語る異なる言語なので、理性のお祈りと違って悪魔サタンに解読されることはありません。
でも、本人と解読する賜物を与えられていない人には、何言ってるか分かりませんm(_ _)m
私が生まれ育った改革派教会では教会内で異言を語ることは禁じられていたので、私は牧師の娘に生まれましたが、異言というものの存在をつい最近まで知りませんでした。
京都グレースバイブルチャーチを訪れて初めて異言でお祈りしている人を見た時、ぶっちゃけ「何だこのキチガイみたいな人達は!!」と思いました(^_^;)
それくらい、全く知らない人には意味不明なものです。
だから「解読出来る人がいないなら、教会で異言を語るのはやめましょう」(28節参照)とパウロは言っています。
信者でない人には何を言っているか分からない異言よりも、未信者に語ることの出来る預言の方が大事。異言で一万語るよりも私は預言で5語る方を取る、とも(19節参照)。
要は、未信者の人に怪しまれないように教会では異言はほどほどにして、預言を語ることに重きを置きましょう、伝道にため預言の賜物を求めましょう、ということかと思われます。
異言を語ることを禁じてはなりません(39節)ともあるので、そのあたりのさじ加減は教会や会派によって異なるようですが……
変な胡散臭い宗教だと思われてしまっては元も子もないので、やはり、ほどほどにした方がいいのでしょうね(^_^;)
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!