こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はコリントの信徒への手紙一 11章を読みました。

コリントの信徒への手紙一 11章
礼拝でのかぶり物についてと主の晩餐について書かれていました。
この箇所を初めて読んだ感想をUpしたいと思います!
礼拝でのかぶり物
まずは2〜16節の「礼拝でのかぶり物」について。
全ての男の頭はキリスト、女の頭は男、キリストの頭は神だ、と書かれていました。
男は神の姿と栄光を映す者だからかぶり物をかぶってはいけない、女は男の栄光を映す者だから天使と同じくかぶり物をしましょう、という内容のことが書かれていたのですが……
ちょっと色々と不明な箇所が多いので、追って牧師先生に聞いてみようと思います。。。
主の晩餐について
次に、主の晩餐についての記述がありました。
「主の晩餐についての指示」(17〜22節)、「主の晩餐の制定」(23〜26節)、「主の晩餐にあずかるには」(27〜34節)の3ブロックに分かれていましたが、要は、主の晩餐とはこうあるべき!ということが書かれている箇所なので、まとめさせていただきます。
主の晩餐とは「聖餐式」のことを指すようです。
パンをキリストの肉に、ぶどう酒をキリストの血に見たて、それを飲食することで主の贖いにあずかる、という、教会の儀式ですね(とてもざっくりしていますが、この説明でだいたい合っているかと;;)
当時のコリントの教会では、聖餐式の前に「愛餐会」というお食事会が開かれていたようなのですが、とても愛餐会と呼べるようなものではなく、金持ちは好きなだけお酒や高級食材を飲み食いし、貧しい人は何も食べれない、という格差の酷いものだったとのこと。
そのことに対して、パウロが苦言を呈した箇所のようです。
心に響いた箇所
今日読んだ章で心に響いた箇所は、こちらです。
わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。裁かれるとすると、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。コリントの信徒への手紙一 31〜32節
自分の身の丈にあった行動をする、って、大事ですよね。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました(o^^o)