こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はガラテヤの信徒への手紙 1章を読みました。

ガラテヤの信徒への手紙 1章
本章は
「挨拶」(1-5節)
「ほかの福音はない」(6-10節)
「パウロが使徒として選ばれた次第」(11-24節)
の、3段落で構成されていました。
挨拶、パウロが使徒として選ばれた次第、の箇所には、そのタイトル通りの内容が書かれていましたが、「ほかの福音はない」には、ガラテヤ地方の教会の人達がイエス・キリスト以外の福音(宗教?)に惑わされて乗り換えてしまっていることを嘆く内容のことが書かれていました。
「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい(8節)」
とまで、憤ってますね。
御子を私のうちに啓示することをよしとされた
特に大事と感じたのは16節。
わたしの読んでいる新共同訳聖書では「御子をわたしに示して」と、比較的さらっと書いてありますが、別の訳では
「御子を私のうちに啓示することをよしとされた」
と、書いてあるようです。
わたしたちがイエス様を信じて受け入れて以降、イエス様はわたしたちの心の中に住まわれます。
でも、心の物凄く奥深くのため、なかなか表面には現れにくいのです。
残念なことに、わたしたち人間は生まれながらにして罪の性質を持っているため、その不信仰、不敬虔、不服従が分厚い幕となって邪魔をして、奥深くに住んでおられるキリストの光を遮ってしまうのですm(_ _)m
だから「わたしの心の中に住んでおられるイエス様、もっと表に出てきて働いて下さい。天の神様、それをよしとして下さい」と祈ることが大事なのだそうです。
参考文献:「きょうの力」(F.B.マイヤー原著 小畑進編著)
もしあなたの知り合いにクリスチャンの方がいて、とてもクリスチャンとは思えないダメな人に思える人がいたら、その人がまだクリスチャンの赤ちゃんで、人間が元来持っている罪の性質の方が強く表に出てしまって、奥底のイエス様の光を遮ってしまっているものと思います。
もしあなたがクリスチャンで、信じているのになんでわたしは愛のある人間になれないんだろうと悩んでおられるようなら、そのことを不安がる必要はありません。
人間の愛なんてそもそもないも同然なくらいちっぽけなものなんです!
だからイエス様に愛を求めるんです!
愛のある人間になりたかったら、イエス様の愛をもっともっと求めて、心をイエス様の愛で満たしていただいて、それを表していく以外にありません。
そうなれるよう、一緒にお祈りしていきましょう^o^
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!