こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はガラテヤの信徒への手紙 5章を読みました。

その感想を述べたいと思います。
※これから書くのは「解説」ではなく「感想」です。ただの一般人の感想ですので、きちんと聖書を知りたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
ガラテヤの信徒への手紙 5章
本章は
「二人の女のたとえ」(4章続き、1節)
「キリスト者の自由」(2-15節)
「霊の実と肉の業」(16-25節)
の、3段落で構成されていました。
二人の女のたとえ
こちらは昨日読んだ4章の続きです。
昨日の記事をご参照願います。
参照 : [ai] ガラテヤの信徒への手紙 4章 〜キリストが形作られるまで〜 | ペパーミントダイアリー for ジーザス!
キリスト者の自由
割礼はそれほど重要なものではないのでそこにこだわるな、という内容のことが書かれているようです。
そこにこだわるのなら、律法主義への逆戻りですよ、ということかと思うのですが……間違っていたらすみませんm(_ _)m
霊の実と肉の業
わたしが本章で特に大事と思ったのは、こちらの箇所です。
肉と霊が対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことが出来ないのです。(ガラテヤの信徒への手紙5章17節)
まさに、今のわたしのことを言い当てているような箇所でした(^_^;)
恥ずかしながら、ここ2週間ほど、日曜礼拝に参加出来ていないのですm(_ _)m
イエス様の愛を宣べ伝えたい、もっと恵みを受けたいという気持ちはあるのですが、日曜日の朝になると、なぜか急に眠くなったり無気力な気持ちに襲われて、家から一歩も外に出たくなくなるのです。
霊的には「教会に行きたい!」と思っているのに、肉の潜在欲求が「出かけなくない、面倒くさい」という気持ちを引き起こして、そちらが勝ってしまっているんですねm(_ _)m
でも、肉の業について、聖書はこう言っていました。
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他この類のものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。(ガラテヤの信徒への手紙5章19-26節)
肉の欲求に従って生きていたら、怒りとか妬みとか悪い感情ばかり引き起こされて、挙句、神の国に入れなくなってしまうとのこと。
キリストを受け入れた時に肉の自分は一緒に十字架に架けたはずなので、そちらに従っていくことは、結果、死に繋がる、ということなんですよね、きっと。
霊(聖霊)の導きに従って、そちらに進んでいきたいですね。
そう出来るようにお祈りします。。。
今回はわたしのダメさ加減を曝け出した箇所でしたが、どうかこの経験もなんらかの形でどなたかのお役に立てますように。。。
ペパーミントあいがお届けいたしました。