[ai] エフェソの信徒への手紙 6章 〜戦う相手は悪魔であって人間ではない〜 | ペパーミントパラダイス

[ai] エフェソの信徒への手紙 6章 〜戦う相手は悪魔であって人間ではない〜

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

今日はエフェソの信徒への手紙 6章を読みました。

本章は

「親と子」(1-3節)
「奴隷と主人」(5-9節)
「悪と戦え」(10-23節)
「結びの言葉」(21-24節)

の、4段落構成になっていました。

以下は、本章を初見した私の個人的な感想です。
専門家の「解説」ではなく、あくまでも素人の「感想」です。

ちゃんと聖書をお知りになりたい方は、お近くの教会に行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^

親と子

子供は両親を敬って従うように、親はキリストが私達をしつけ諭すように育てるように、ということが書かれています。

奴隷と主人

奴隷はうわべだけで主人に仕えるのではなく、キリストに従うように真心を込めて従うように。
主人は奴隷を脅すのはやめて、キリストが私達人間を扱うように奴隷を扱いなさい、という内容のことが書かれています。

悪と戦え

ここはほぼ全文大事な箇所と思えたので、引用させていただきます。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神に武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソの信徒への手紙6章10-18節)

クリスチャンになって間もなく、先輩クリスチャンの方に教えていただいた箇所でもあります。

その時私には、物凄く苦手な人がいて、とにかく悩みの種でした。

困ったことに、同じ京都グレースバイブルチャーチに通っていて、同じ新選組リアンのファンで、仕事でもないのに行く先々で顔を合わせなければならず、この人と関わらなければならないなら教会に行くのもリアンのファンもやめようかと思うくらい、嫌で嫌でたまりませんでした。

その人のために大好きな教会に行くのも、大好きなリアンのライブに行くのもやめるなんて嫌だから、何とか関係を改善しようと努力はしましたが、歩み寄ろうとすればするほど、なぜかことごとく裏目に出ることが多く、この人は悪意を持って私を陥れようとしているんじゃないか?と思ってしまうほど、憎しみが募るばかりでした。

そのことを先輩クリスチャンの方に相談したところ、この箇所を教えていただきました。

「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく」というのは、人間との戦いではない、という意味なのだそうです。

私はその苦手な人(以下Aさんとお呼びします)が嫌で嫌で仕方なく、この人は私の人生史上最大の敵であり、ラスボスだと思っていました。

でもそれは、Aさんが悪いのではなく、悪魔がAさんと私のダメな部分を引き出して関係を悪くさせ、教会に行きたくなくなるように、イエス様から離れるようにしようとしているのだ、とのこと。

私が戦うべき相手は、Aさんではなく、悪魔だったのです。

「人としてやれるだけのことはやったんだから、あとは全てイエス様にお任せしよう」

そう言われました。

以後、私はAさんと無理して仲良くしようとするのはやめて、距離を取るようにしました。
SNSでの繋がりは絶ち、必要最低限以外の会話はしないようにしています。

精神的にだいぶ楽になりました♪

悪いのはその人ではなくその人を操っている悪魔だ、という考え方は、日本古来の「罪を憎んで人を憎まず」の教えに似ていますよね。

でも個人的には、悪魔の存在を知らないと、どうしても罪とその人がセットになってしまうので、罪だけを憎むことは難しいんじゃないかな、と思います。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

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