[ai] もっとも価値あるものは、目に見えるものではない! | ペパーミントパラダイス

[ai] もっとも価値あるものは、目に見えるものではない!

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

だいぶ日数が空いてしまいましたが、3/1(日)は草加松原リバーサイドチャペルにて、日曜メイン礼拝に参加してきました。

説教開始前のお祈りにて

この日の説教は主任牧師の天野先生がして下さいました。

この日、前日までにちょっと立て続けに嫌なことがあって、実は精神が病んでいたのですが、

説教開始前、先生は教壇に立たれると、いつものようにお祈りを始められました。

「今この場に病んでいる人がいたら、どうか癒されて帰ることが出来ますように!悪いものよ、今すぐこの場から出て行けーーーーーー!!」

と、いつになく熱(苦し)く祈られて焦りました(^_^;)

やばいわたしのことだ、と。

天野先生にもリバーサイドチャペルの方にも一切そんな話はしていなかったのですが、なぜ筒抜けになっていたのか!?

教会行くとそういうことが往々にしてあるから不思議です。

最も価値あるものは? 〜福音こそ!!最重要課題〜

あなたにとってもっとも大切なものは、何でしょうか?

世の中の多くの人が思う代表的なものとして、以下のようなものがあるかと思います。

・子供
・伴侶
・親
・友達
・ペット
・車
・バイク
・宝石
・毛皮
・お金

家族やお友達は大事ですよね。

生活していくのに欠かせないお金や資産価値のある宝石、また毛皮は暖をとるためだけのものではなくステイタス的な意味合いもあると思うので、大切にされている方も多いと思います。

男性なら乗り物好きな方も多いでしょうから、車やバイクにロマンを感じていらっしゃる方も多いものと思われます。

でもこれらは、いつかは無くなる命や、命さえないものです。

世の中の多くの人は、目に見えるものに気を取られている

教会に来て、一度はイエス様を信じた人、あるいは信じかけた人でもつまずいてしまう原因の一つに、目に見えないイエス様ではなく、目に見える伝道者についてしまうことが挙げられます。

牧師や伝道者は、一般のクリスチャンよりはよほど聖書に精通していて、イエス様に近づいている方々かとは思いますが、それでも人間です。

間違うことだってあるのです。欠けている部分もあるのです。完璧ではないのです。その牧師さんに重きを置いてしまうと、必ずつまずきます。

本来、神であるイエス様に向けなければいけない「依存」を、人間である牧師さんに向けているからです。

聖書にこのような御言葉があります。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(コリント信徒への手二 4章18節)

見えるものは一時的なのです。

また、このような御言葉もあります。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(マタイによる福音書16章26節)

それに関連する御言葉として、以下のような箇所も挙げられます。

神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。(マルコのよる福音書8章38節)

たとえ世界中にものを手に入れたところで、命を失ってしまってはどうにもなりません。

キリストがこの世に再臨される時には、全てを裁かれるので、その時に罪深い生き方をして恥られてしまっては、どうしようもない、と書いてあります。

また、神ではなく人に重きを置いてしまった悪い例として、このような箇所もあります。

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れし、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしにため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな対価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」(マルコによる8章31-38節)

イエス・キリストが十字架について三日目に復活されることを弟子たちにお話しした時、弟子のペトロはイエス様をわきにお連れしていさめ始めたそうです。

そんなペトロに、イエスは「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われました。

ペトロがイエス様をいさめたのは、イエス様を祭司長や律法学者たちに渡したくないと、思ってのことです。

でも、そこに大きな間違いがありました。

ペテロは「神の子イエス」ではなく「人の子イエス」のことを思っていたのです。

たとえ相手を思ってのことでも、それが神様の御心を無視したものでは、やはり間違いになってしまうのです。

そのことをイエス様は「サタン、引き下がれ」と厳しく叱責されました。

では、物ではない、大切な人でもないとなると、一体わたしたちは何を一番大事にすればいいのでしょうか?

人本主義から神本主義へ

新約聖書のコリントの信徒への手紙に、このような箇所があります。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの信徒への手紙一 13章13節)

いつまでも残るものは、目に見えないもの、霊的なものなのです。

さらに具体的に示されている箇所があります。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6章33節)

神の国と神の義を第一に、と、イエス・キリストは言われました。

正確にはもっとちゃんとした意味合いがあるかと思いますが、とりあえず「神様を第一に」と思っておけば間違いないかと思います(^_^;)

(すみません、追い追いちゃんと勉強します……)

人本主義は半分正しくて半分間違いなのです。

人を大事にするのは、人に重きを置くからではなく、重きを置くべき神が人を大事にしているからなのです。

神はその気になればわたしたちを簡単に滅ぼすことが出来る

神に重きを置かなければならない理由は、他にもあります。

彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えて下さるのです。(フィリピの信徒への手紙3章19-21節)

唯一絶対の神様以外のものを神とするならその先は滅びだ、と、はっきり書かれています。

また、中にはこんな厳しい箇所も。。。

わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入れるわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マタイによる福音書7章21節)

受洗したところで、神の御心を行わない者は天国へは行けないのです。

恐ろしい>_<

そう言われてしまうと、わたしはそうしたいと思っていても出来ているか自信がないし、イエス様がこうしなさいとおっしゃっていると思っていたことが実は勘違いだったらどうしようとか、凄く不安になってしまうのですが……

希望を与えてくれる箇所も、ちゃんとありました。

神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。(ヨハネの第一の手紙 5章3節)

神の掟、とは、聖書に書いてあることですね。

現実には難しいですが、ちゃんと日曜日に教会に行って、毎日聖書を読んで、毎日お祈りして、といった基本的なことをきちんと続けてしっかりイエス様に繋がっていくようにすれば、助け主である聖霊様が働いてくれて苦なく守れるようになるものと思います。(※これは実際の説教で天野先生がおっしゃったことではなく、わたしの意訳です)

まとめ

・目に見える人や物ではなく、目に見えない神様の福音に重きを置くこと
・そのためにはクリスチャンとして基本的なことを毎日心をこめて行うこと

これが大事だと思いました。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

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