こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年6月5日 草加神召教会リバーサイドチャペルの日曜メイン礼拝に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
メイン礼拝は毎週日曜日 11時から13時頃まで行われているメインの礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日はちょっと特別な集会
この日はちょっと特別な礼拝でした。
47都道府県リバイバルミッションという活動の一環として、牧師の有賀喜一先生と、ギタリストの井草聖二さんが、当教会に来て下さいました。
このようなパンフレットもいただきました。
会派に関わらず、牧師さんとミュージシャンの方がペアで全国の教会を回り、賛美とメッセージをされているようですね。
有賀先生は、プロテスタントでは恐らく、会派関わらず有名な先生です。御年80歳になられますが、とても元気で生き生きとしたおじいちゃんでした^ ^
井草聖二さんは、アコースティックギター一本でバンドの全パートを演奏するソロギターの奏者。曲に歌詞はないのですが、ギター一本の音とは思えないほど重厚感のある音色に衝撃を受けました!
「いつまでも生き生きと生きるために」
80歳になられても若々しく、生き生きされている有賀先生。人生のモットーも「いつまでも生き生きと生きる」ことなのだそうです。
そのためには、「いつまでも愛されて生きること」が不可欠であると話しておられました。
そしてその愛は、愛の源泉であるイエス・キリストからしか、受け取ることは出来ません。
イエス・キリストの無条件で無限大の愛を受け入れることによって、いつまでも生き生きと生きることが出来ます。
実家は熱心な仏教徒の家庭
有賀先生のご実家は、熱心な仏教徒の家庭でした。
日本の多くのご家庭は、仏教のどこかしらの宗派に属しておられるものと思いますが、有賀先生のご実家は、何となく属しているのではなく、毎朝食事前に読経をしたり、真冬に滝行をしたりするほど熱心なご家庭でした。
でもある時、友人の死がきっかけで、先生は、はたして自分は死んだあと、天国へ行くことが出来るのだろうか?と考えるようになりました。
自分ははたして、嘘もついたことがない、一切の悪いことをしていない、非の打ちどころのない人間なのかと突き詰めて考えれば考えるほど、死というものが恐ろしくなったそうです。
どれだけ熱心に苦行をしても、救いの確信が得られなかった青年時代
死んだあと天国に行きたい。
その確信が欲しくて、有賀青年は神社の境内を掃き清めたり、お寺で修行をしたり、様々な苦行を行いました。
でも、住職さんも神主さんも、行いを褒めてはくれましたが、これで天国へ行けるという確信を与えてはくれませんでした。
「極楽へ行けるかは、死んでみなければ分からない」
結論を急いだ有賀青年は、列車の前に飛び出します。(笑いながら話していらっしゃいましたが、当時は相当思いつめておられたものと思います>_<)
でも、線路のレールとレールの間にすっぽり挟まって、全くの無傷に終わったそうです。
イエス・キリストを信じ、救いの確信を得る
どうしても救いの確信が欲しかった有賀青年は、ある年の大晦日、お寺へ行きます。
その道すがら、クリスチャンの先輩と偶然会い、その人に連れられて教会へ行きました。
そこで、スウェーデン人の先生からイエス様のお話を聞き、本当の神様は八百万の神ではなく、ただ一人の神様であると確信します。
お父さんが一人しかいないように、神様も一人しかいないのです。
本当の神様は、人間「が」作った神ではなく、人間「を」作った神様です。
人間の心は弱くて冷たくて醜い。
でもイエス様は、そんな私たちのために十字架に架かって罪を贖って下さった。
イエス・キリストは、生きた神様です。
イエス・キリストを信じ、受け入れるなら、救われる。永遠の命を得ることが出来る。
これは嬉しい知らせだと思いました!
この時、有賀青年は罪を悔い改め、イエス・キリストを心に受け入れます。
家族もキリストを受け入れ、御言葉が成就する
熱心な仏教徒の家庭のため、イエス・キリストを信じた当初は、家族に猛反対され、迫害を受けました。
新学校へ行って牧師になると言った日には「二度とこの家の敷居はまたぐな」と勘当されたそうです。
でも、新学校へ入学した一年後には、不思議な導きでお母様がクリスチャンになり、やがてお父様も、病が癒されたことがきっかけでイエス・キリストを信じるようになります。
その他の家族や親族も信じるようになり「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」という御言葉(みことば)が成就されました。
生き生きと生きるには、愛されて生きることが不可欠
7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちのうちに示されました。10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
(ヨハネの手紙一 4章7-10節)
ある夫婦が新婚旅行中、実家が火事になりました。
知らせを聞いて急遽戻ってみると、家は全焼。
二人はクリスチャンだったので、まずはその場で祈ることにしました。
妻はこのように祈りました。
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛で、いつまでも残るものは愛です。火事で家は無くなったけど、あなたの愛は無くなりません。夫への愛も無くなりません。仕事のことも愛しています。感謝します」
近所の人たちが心配して夫婦を訪ねると、二人は火事で家が全焼したとは思えないくらい、元気でニコニコしていたそうです。
イエス様の愛は無くならないと心から思えたら、火事で大変な目にあっても、笑顔でいられるのでしょうね。
辛い時は、むしろ、神様の恵みが降り注ぐチャンスであると、有賀先生はおっしゃっていました。
この奥さんが
「いつまでも生き生きと生きるには、愛されて生きることが必要」
という証詞(あかし)をされたそうです。
神様に愛されている確信がなければ、上記のようなお祈りはそう出来ないでしょうね。。。
愛の源泉はイエス・キリスト
この日の説教の中で、有賀先生は「愛の源は神様」であることを、何度も繰り返しおっしゃっていました。
上記で紹介された箇所にも書いてある通りです。
人の愛は条件付きで限られていますが、神様の愛は、無条件で無限大です。
この愛を信じ、受け入れることで、周りの人たちにも愛を振りまくことが出来ます。
信じることは、相手のことが完全には理解出来なくても、信じて受け入れること。
「この愛の中で69年間生きている」と、有賀先生は誇らしげにおっしゃっていました。
そして、この愛を受けて生きることで、いつまでも生き生きとしていられる、とも。
69年間もイエス様と共に歩まれた方のお言葉なだけあり、とても説得力がありました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。