こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はリバーサイドチャペルの日曜礼拝に参加してきました!
キリストに信頼することの大切さを学びました
今日は主任牧師の天野先生の説教でした。
ヨハネによる福音書5章1〜9説、ベトザタの池で病人を癒す箇所を通して、イエス様に信頼してより頼んで生きていくことの大切さを学びました。
聖書の箇所は
今日読んだ聖書の箇所はこちら。
キリストがベトサダの池で、38年病に苦しんでいた病人を癒すお話の箇所です。
キリストが奇跡を起こすエピソードのうちの一つですが、この病人の男性の言動から学ばなければならない点が2つあると、天野牧師は説教の中でおっしゃいました。
人を基準にせず、神を基準にすること
この病人。イエスに「良くなりたいか」と聞かれて、素直に「良くなりたいです。癒して下さい」とは言いませんでした。
「水が動く時、わたしを池に入れてくれる人がいないのです。ほかの人が先に降りて行くのです」
※このベトサダの池は、水が動いた時に浸かると病が癒されたり問題が解決されるパワースポットだと信じられていた場所でした。
目の前に神であるイエス様がいらっしゃるというのに、人を頼りにしてしまっている。
もっと厳しい言い方をすると、人のせいにしてしまっている。
こういうところ、クリスチャンであっても、私たち人間にはないでしょうか?
イエス様は目には見えなくても全能の力を持っていてよほど人間より強いのに、目に見える目の前の人間を頼ってしまったり、人の目を気にして見えないイエス様をないがしろにしてしまうこと、あるのではないでしょうか?
人との関わりも大事だし、イエス様は人を通してメッセージを語られることもあるから、人との関係をないがしろにしていいわけではないけれど、根本で、人に全て信頼しきって依存してはいけないのです。
例え牧師さんであっても、人間である以上、間違えることはあります。
一般人よりはよほど信頼出来るかもしれないけど、全面的に信頼して任せていいのはあくまでもイエス様で、牧師さんやその他の信頼出来る人達は、間違える可能性もあることも念頭に置かなくてはいけません。
過去に捕らわれて未来を縛ってはいけない
もうひとつ、同箇所から学ぶべきことがあります。
この病人は「入れてくれる人がいない」と、過去の経験を通して未来のことまで勝手に決め付けてしまっています。
無理ないことだと思います。
これまでなんども試みてきたけれど、ことごとく同じ目に遇つてきたのでしょうから。。。
でも、イエス様に出会ったら未来は変わります。
人には出来ないことも、神には出来るからです。
目の前に全能のイエス様がいらっしゃるのに、過去の経験に捕らわれてダメ、出来ないと決め付けてしまうのは、イエス様を信頼しきれていない証拠。
イエス様を頼らないで自分の力だけで何とかしよとしてしまっている、あるいはイエス様以外の人間を頼りにしてしまっているからではないでしょうか。
まとめ
この2つのことを通して、イエス様に信頼してより頼んで生きていくことが大事なんだなと、改めて思いました。
わたしたちはつい、イエス様がついていて下さると分かっていながら、見えないイエス様のことを忘れて自分を過信してしまったり、目の前の人間の目を気にしてしまったり、頼ってしまうこともあるけれど、本当に依存していいのは神であるイエス様だけだということを、忘れないようにしたいですね。
天野牧師ともご挨拶出来ました^ ^
リバーサイドチャペルを訪れるのは今日で3度目になりますが、三度目にしてようやく、主任牧師の天野先生とご挨拶させていただくことが出来ました!
その時のことは、ツイッターにもつぶやかせていただきました。
今週はリバーサイドチャペルでの日曜礼拝。無事捧げることが出来たこと、感謝です。天野先生ともようやくご挨拶出来ました♪ 説教はとても力強くて、暑苦しいとさえ感じたけれど(笑)、ふつうに話すときはとても紳士で穏やかな方だという印象を受けました^ ^ 関パパ先生によろしくとのことです。
— ペパーミントダイアリー for ジーザス (@peparmintai3) 2014, 11月 9
メッセージはびっくりするくらい暑苦しくて力強い方でしたが、ふつうにお話する時は、紳士で穏やかな方でした^ ^
京都グレースバイブルチャーチで洗礼を受けたこと、草加市在住だから地元にいる時はこちらに通わせていただきたい旨、お話させていただきました。
快く迎えていただき、ありがとうございます!