[ai]【草加松原リバーサイドチャペル日曜礼拝】神に伺う | ペパーミントパラダイス

[ai]【草加松原リバーサイドチャペル日曜礼拝】神に伺う

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

今日は草加松原リバーサイドチャペルの日曜礼拝に参加してきました。

パン・スーアン先生

今日はパン・スーアン先生のメッセージがありました。

本教会の主任牧師 天野先生のラーメン仲間で、台湾出身の宣教師。
お父様も宣教師で、子供時代は横浜で過ごされ、色々な国の言葉を話される方とのこと。

説教はとても流暢な日本語でしたが、時折出てくる英単語の発音が異常によく、外国語に長けた方であることを伺わせていました。

今日の説教テーマ「神に伺う」

クリスチャンのみなさんはお祈りする時、何をお祈りしますか?
恐らく多くの方は、神様に願いを叶えて下さいとお願いすると思います。

でもお祈りの本来に役目は、「お願い」ではなく「神に伺う」ことなのだそうです。

1.主の御心を求める

歴代誌の上に、こんな箇所があります。

ペリシテ人は、ダビデが油を注がれて全イスラエルの王となったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た。ダビデはこれを聞いて彼らに向かって出陣した。やって来たペリシテ人はレファイムの谷に侵入した。ダビデは神に託宣を求めた。「ペリシテ人に向かって攻め上るべきでしょうか。彼らをこの手にお渡しくださるでしょうか。」主はダビデに答えられた。「攻め上れ。あなたの手に渡す。」
彼らはバアル・ペラツィムに攻め上り、ダビデは敵を討ち滅ぼして、こう言った。「神は敵をこの手で、水が堤防を破るように打ち破って下さった。」その場所をバアル・ペラツィム(破れ目の主)と呼ぶのは、このためである。ペリシテ人が自分たちの神々をそこに捨てて行ったので、ダビデは命じて、それを火で焼かせた。
ペリシテ人は再び谷に侵入した。ダビデは再び神に託宣を求めると、神は次のように答えられた。「彼らを追って攻め上らず、彼らを避けて回り込め。バルサムの茂みの反対側から敵に向かえ。茂み越しに行軍の音を聞いたら、そのとき出て行って戦え。神がペリシテの陣営を討つために、あなたに先んじて出陣されるのだ。」ダビデは神の命じられたとおりに行動し、彼らはギブオンからゲゼルに至るまで、ペリシテ人の陣営を討ち滅ぼした。こうしてダビデの名声はすべての国々に及んだ。主は諸国の民が皆、彼を恐れるようにされた。(歴代誌上14章1-17節)

聖書に出てくる有名なダビデ王が、敵のペリシテ人が攻めて来た時に、神に伺いを立てた話が書かれています。

正式に王になったばかりのダビデ王。

敵が攻めて来たのを打ち破れば、王としての権威を印象付けるまたとないチャンス。

それでいて、戦に長けたダビデなら、ふつうなら迷わず討ちに行くところですが、彼は神に伺いを立てました。

もう一度ペリシテ人が攻めてきた時も、ダビデは神に伺いを立てました。

一度倒している相手なら楽勝だと、ふつうなら迷わず討ちに出るところですが、神に伺いを立てました。

神が「攻め上るのはやめて反対側から回り込みなさい」と言われたので、その通りにして、勝利を収めました。

ダビデが神に伺いを立てた箇所が、もう一つあります。

ダビデは主に託宣を求めた。「この略奪隊を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」「追跡せよ。必ず追いつき、救出できる。」という答えであった。(サムエル記上 30章8節)

こちらはダビデがまだ王になる前。不利な状況での伺いです。

とても不利な戦いになること必至でしたが、神に言われた通り略奪隊を追跡して、捕虜にされた人々(ダビデ本人やその部下の妻や子供を含む)と取り返すことに成功しました。

逆に、伺いを怠ると痛い目をみる

そんなダビデ王でしたが、御心を行わず、痛い目を見たこともありました。

「レビ族の家系の長であるあなたたちは、兄弟たちと共に自らを聖別し、イスラエルの神、主の箱を、わたしが整えた場所に運び上げよ。最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである。」
祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるため自らを聖別した。主の言葉に従ってモーセが命じたように、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担いだ。(歴代誌上 15章12-15節)

神の箱を箱を運ぶこと自体は尊い目的だったのですが、そのこと、その手段が神の御心に沿わなかったため、罰せられたことが書いてあります。

どんなにいいことをしようとしても、神様の御心に叶わないと、逆に痛い目に遭ってしまうのです。

スーアン先生も、ある病人の方に良かれと思って助けの手を差し伸べたところ、逆に悪くなってしまい、なぜなのか神様に聞いたら「助けたらその人が自分で神様を求めなくなるからダメだ」と言われてしまったことがあるそうです。

病気の人を助けようとするのはいいことですが、そのことによって神の御心に叶わなくなってしまうなら、やはりダメなようです。

2.主により頼む

さきほど引用した箇所と重複しますが、歴代誌上14章14節に、こんな箇所があります。

ダビデは再び神に託宣を求めると、神は次のように答えられた。「彼らを追って攻め上らず、彼らを避けて回り込め。バルサムの茂みの反対側から敵に向かえ。茂み越しに行軍の音を聞いたら、そのとき出て行って戦え。(歴代誌上14章14節)

御心に叶わないことにならないためには、自分の経験や能力により頼まず、主により頼むことが大事です。

ダビデが自分の経験や能力により頼まず、神により頼んだ箇所がもう一つ。

ペリシテ人がケイラを襲い、麦打ち場を略奪している、という知らせがあったので、ダビデは主に託宣を求めた。「行って、このペリシテ人を討つべきでしょうか。」主はダビデに言われた。「行け、ペリシテ人を討って、ケイラを救え。」だが、ダビデの兵は言った。「我々はここユダにいてさえ恐れているに、ケイラまで行ってペリシテ人の戦列と相対したらどうなるでしょうか。」ダビデは再び主に託宣を求めた。主は答えられた。「立て、ケイラに下って行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す。」
ダビデとその兵はケイラに行ってペリシテ軍と戦い、その家畜を奪い、彼らに大打撃を与え、ケイラの住民を救った。(サムエル記上23章1-5節)

主に伺うを習慣にする

主により頼んで生きるには、主に伺うことを習慣化することが大事だとのこと。

ここに、主に伺うことを習慣化している人のいい例があります。

サウルは言った。「何故、お前はエッサイの子と組んでわたしに背き、彼にパンや剣を与え、神に託宣を求めてやり、今日のようにわたしに刃向わせ、わたしを狙わせるようなことをしたのか。」アヒメレクは王に答えた。「あなたの家臣の中に、ダビデほど忠実な者がいるでしょうか。ダビデは王様の婿、近衛の長、あなたの家で重んじられれいる者ではありませんか。彼のために神に託宣を求めたのはあの折が初めてでしょうか。決してそうではありません。王様、僕と父の家の者に罪をきせないせください。僕は事の大小を問わず、何も知らなかったのです。」

いい習慣が身につくには最低でも21日はかかると言われているそうですが、悪い習慣はすぐに身についてなかなか直りませんm(_ _)m

主により頼んで「伺いを立てることを習慣化出来るようにして下さい」とお祈りしていきたいですね^o^

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

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