こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年2月24日 草加神召教会リバーサイドチャペルの水曜祈祷会に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの水曜祈祷会
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
祈祷会は毎週水曜日 19時半から行われています。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日のメッセンジャー
アメリカから来日中の、デール・クロール先生という牧師さんがお話して下さいました。
本教会と親交のある先生のようです。
「御言葉によって私を生き返らせて下さい」
この日の説教テーマは「御言葉によって私を生き返らせて下さい」というもの。
引用聖句はこちらです。
私のたましいは、ちりに打ち伏しています。
あなたのみことばのとおりに
私を生かして下さい。
(詩篇119編25節)
新約聖書の中でイエス・キリストは「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と言われました。
言わば、聖書の御言葉(みことば)は、霊の糧。食事と同じくらい大切なものです。
でも、毎日ごはんを食べるように聖書を読めているクリスチャンは、はたしてどれだけいるでしょう?
この日のメッセージでは、毎日聖書を読むこと、御言葉を心に留めることの大切さを学びました。
私たちは聖霊と御言葉を受けなければならない
「たましいがちりに打ち伏している」とは、乾いていて、命がない状態を表します。
つまり、死んでいるということ。
死んだたましいを御言葉は生き返らせてくれます。
私たちクリスチャンは、御言葉によって自分の罪を知り、悔い改め、イエス・キリストを救い主として心にお迎えしました。
そのことによって、心の中に新しい自分が生まれました。
罪の奴隷だった古い自分は死に、神の子として生まれました。
でも、それで終わりではありません。
神の子として、ますます成長していく必要があります。
そのためには、聖書の御言葉を学ぶことと、聖霊を受けることは不可欠です。
御言葉の力なくして、聖霊の力なくして、私たちは、何もすることは出来ません。
ごはんを食べないと、人はお腹がすいて死んでしまいます。
同様に、心も、御言葉というごはんを食べないと、疲れてお腹がすいて死んでしまうのです。
聖書を読むのが面倒なのは、肉が生きようとしているから
新約聖書の中でイエス・キリストは「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る全ての言葉によって生きる」と言われました。
御言葉は、言わば霊の糧。
私たちの霊が生きて成長するには、御言葉が不可欠です。
でも、毎日ごはんを食べるように聖書を読んでいるクリスチャンは、案外少ないのではないでしょうか?
大事なのは分かっていても、面倒だったり疲れたりして読めないこと、たくさんあるのではないでしょうか?
聖書を読むのが面倒だと感じてしまうのは、肉なる人が生きようとしているからであると、デール先生はおっしゃいました。
肉なる人とは、言わば、古い自分。
いくらイエス・キリストを信じて「古い自分は死んだ」と言われても、この世は悪魔の支配にある世界なので、罪の奴隷だった自分が完全に死ぬわけではないのです。残念ながら。
私たちの肉なる人は、生きようとしています。
この肉が、私たちを御言葉から遠ざけます。
御言葉は罪から遠ざける、罪は御言葉から遠ざける
でも、肉が死ねば、聖霊の支配に置かれます。
聖霊の支配に置かれれば、あなたを罪から遠ざけます。
聖霊に満たされるためには、やはり、御言葉が不可欠なのです。
御言葉はあなたを罪から遠ざけ、罪はあなたを御言葉から遠ざけます。
肉が死に、罪から遠ざかるためには、御言葉を聞き、心に留めることが大切です。
ただ読むのではなく、神様の言葉として、ちゃんと「聞く」意識を持つことが大切です。
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
(ローマ人への手紙10章17節)
聞いた御言葉は自分の財産として、大切に蓄えましょう。
私は神のくちびるの命令から離れず、
私の定めよりも、御口のことばをたくわえた。
(ヨブ記23章12節)
しっかり心に留め、蓄えることで、何かが解放される。超自然的なことが起こるだろうと、デール先生はおっしゃっていました。
朝一番に御言葉を読むと、一日が充実する
デール先生は、朝起きたら、真っ先に聖書を読んで御言葉を心の蓄えるそうです。
こうすることによって、御言葉が心に入り、一日が上手くいくのだとか。
朝一で聖書を読むといいというお話は、私もどこかで聞いたことがあります。
私は起きて真っ先に実践したことはないですが、朝食を取る前に聖書を読むのと食べた後に読むのとでは、御言葉の吸収率が違うことは、実感としてあります。
実践してみる価値はあると思います!
147 私は夜明け前に起きて叫び求めます。
私はあなたのことばを待ち望んでいます。
148 私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、
みことばに思いを潜めます。
149 あなたの恵みによって私の声を聞いて下さい。
主よ。あなたの決めておられるように、
私を生かして下さい。
(詩篇119編147-149節)
寝る前に御言葉を心に留めると、朝、悪魔のアタックから心が守られる
一日の終わりに御言葉に思いを寄せると、恐れや不安を取り除きます。
悲しかったことも、全ての取り除かれます。
そうすると、何かが起こります。
心が洗われ、清さが増します。
清さを持って、朝、起きることが出来ます。
私たちの心は、朝、悪魔の攻撃を受けやすいです。
起き抜けの弱っているところを、狙ってくるんですねm(_ _)m
でも、夜御言葉を心に留めて寝れば、この御言葉が攻撃から守ってくれます。
あなたのみおしえを愛する者には
豊かな平和があり、つまづきがありません。
(詩篇119編165節)
ここで言われている「つまづきがない」とは、何者にも攻撃させない、という意味です。
感想
朝一で聖書を読め、祈れということは聞いたことがありましたが、夜御言葉を心に留めることの大切さは、初めて学びました。
思えば、ここ最近あまりいい睡眠がとれていませんm(_ _)m
夜は寝れないし、朝は起きれません。。。
寝れないと不安になったり嫌なことばかり思い出すし、そんな気持ちのまま寝ると、朝も決まって気持ちよく起きることが出来ません。
結果、どんどん生活が乱れるという悪循環m(_ _)m
今夜からさっそく、夜寝る前に聖書を読もうと思います!
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。