こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2015年11月25日 草加神召教会リバーサイドチャペルの水曜祈祷会に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの水曜祈祷会
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
祈祷会は毎週水曜日 19時半から行われています。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日のメッセンジャー
この日のメッセージは、同週のメイン礼拝同様、主任牧師の天野弘昌先生がして下さいました。
日曜メイン礼拝のメッセージにつきましては、下記記事をご参照のこと。
[ai]【メイン礼拝】飢え渇くことで、救い、癒し、解放、経済、関係回復の祝福がついてくる!
ネチっこく、しつこく求めること
この日の説教テーマは「2つの分け前〜2倍×2倍〜」というもの。
旧約聖書の第二列王記の箇所を解き明かしたものだったかと思うのですが、実際のメッセージでは「ネチっこく、しつこく求めること!」というフレーズが方が強烈に印象に残りました。
ブログのタイトルにするにはこちらの方が内容が伝わりやすいと思いましたので、こちらをタイトルにさせていただきました。
メッセージ中に紹介された聖書の箇所は、以下の通りです。
7 預言者のともがらのうち五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりに立ったとき、
8 エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。
9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい」するとエリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。
10 エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない」
11 こうして、彼らはなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。
12 エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んだが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。
13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。
14 彼はエリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主は、どこにおられるのですか」と言い、彼が再び水を打つと、水が両側に分かれたので、エリシャは渡った。
15 エリコの預言者のともがらは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言い、彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をした。(列王記Ⅱ 2章7-15節)
この日のメッセージ中にこの箇所に対する解説はなく、メッセージとの関連性はイマイチよく分かりませんでしたm(_ _)m
多分、エリシャがエリヤに「あなたが神様から受けた栄光を私に下さい!」と懇願したこと=神様の栄光に飢え渇き求めたことが大事、ということになるのかと思いますが……
一応、紹介されたので書き残しておきますね^ ^
中国の富裕層は、今、神様に飢え渇いている!
メイン礼拝でもお話がありましたが、天野先生は先月、アメリカのL.Aやカナダのバンクーバーなど、海外で宣教活動をされていました。
いずれも中国から移住してきた方々が通う教会での伝道でした。
今、中国では、習近平政権による厳しい汚職対策が行われているため、富裕層や元役人の多くは、外国へ移住しています。
この人達は、お金も時間も有り余っていますが、人生の目的がありません。
いわば、この先の人生に飢え渇いている状態です。
そんな状況を、神様は用いようとされました。
この状況に目をつけたドクター・チャンという台湾の伝道師が、この人達に伝道しよう、と考えました。
人生に飢え渇いている彼らには、キリストの愛の教えがとても響くようで、伝道するとすぐに信じ、自分の残りの人生は主のために働きたいと願う模様。
天野先生がバンクーバーで会った中国のクリスチャンは、とても神様に飢え渇いていて、熱心に教えを聞こうとし、熱心に伝道する人ばかりだったそうです。
中には天野先生がトイレに行く時までついていって教えを乞おうとしたり、救われて半年で80人の親族を救いに導いた人もいたとのこと。
中国は今、このようなクリスチャンで溢れています。
無論、中国の全人口の中ではまだ少数派ではありますが、日本の全人口は軽く上回っているのでは?とのことでした。
ひきかえ、日本人は飢え渇いてさえいない
バンクーバーで熱心な中国系クリスチャンへの伝道後、帰国された天野先生は、同窓会に参加されました。
元銀行員の天野先生の同窓生は、大手企業や銀行の要職に就いている、言わば、日本の富裕層やエリートと言われる人達。
でも、中国の富裕層とは対照的に、全く神様に飢え渇いていません。
人間は本来、神様なしでは生きていけないように出来ているもの。
だから、霊的にはとても枯渇しているはずなんです。
でも、飢え渇いていないということは、そのことに気付いていないということ。
天野先生は霊的にとてもショックを受け、神様は日本を見捨てられたのではないか?日本はもう終わりなんじゃないかと思われたそうです。
そうなってしまっている原因は、私たち全ての日本人の内側のあるはずだと、天野先生はおっしゃいました。
日本人は、ネチっこく、しつこく求めることを嫌がる
日本での伝道が進まない原因は、たくさんあると思います。
その一つは、「言わなくても分かるでしょ?」「空気読めよ」という、島国特有の、分かってもらって当然精神ではないでしょうか?
旦那さんが奥さんへの愛や感謝の心を一言も伝えないものだから、妻の不満が溜まって熟年離婚、というのは、今やよくある話。
私もそういうところがあるのであまり人のことばかり言えないのですが、ちゃんと思っていることを言わない、相手が察して分かってくれることにばかり期待する。
そんな人が、多いのではないでしょうか?
聖書には、こんな箇所があります。
あなたがたに言いますが、彼は友達だからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要なものを与えるでしょう。(ルカによる福音書11章8節)
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」(ルカによる福音書18章5節)
いずれも、ネチっこく、しつこく求めることの大切さを教える例え話の一節です。
神様はこの例えに登場した友達や裁判官のように、しつこくされたから仕方なく言うことを聞いてくれるような方ではありません。
私たちが何を願い、何が必要なのか、初めから分かっておられます。
でも、「神様は分かっておられるんだからわざわざ祈る必要ない」なんて思ってはいけません。
相手が嫌になるほどしつこく、ネチっこく求めることを、神様は求めておられます。
それをしないで、「神様は分かっているくせに何もしてくれない」と、何もしないまま諦めて、信仰の育たないクリスチャンが多いのではないでしょうか?
祈りが答えられた経験を繰り返さないと、信仰は育ちません。
しつこく、精魂込めて祈ったことが聞かれれば、簡単に叶えられた場合の何倍嬉しいでしょう?
何度もしつこく求めることは、祈る方もそれなりにしんどいです。
でもそれくらい必死に祈ることを、神様は求めておられます。
「言わなくても分かることを何度もしつこく言うなんて……」という、聖書的には間違った美徳精神は、この際、聖霊様に洗いざらい清めていただきましょう。
日本には悪い霊が蔓延している
ここからは、メッセージを聞いて、私が個人的に感じたこと。
以前、ある宣教師の先生が「日本は宣教師の墓場」というお話をされていました。
海外のクリスチャンが日本に来ると、堕落してしまう人も多いようです。
日本には神社や仏閣が多く、様々な偶像崇拝が溢れた国。
いわば、神様の働きとは逆の、悪魔、悪霊の働きが強くなる状況と言えます。
本当の神様を知り、救われたクリスチャンでも、そういった幼い頃からの習慣が染み付き、神社や仏壇に対して畏敬の念を持ってしまっている人も多いのではないでしょうか?
今だに、天皇陛下は神様だと思ってしまっている人はいませんか?
「天皇中心の神の国」という戦前からの思考を受け継ぎ、それに強い回帰心を持ってしまっている人はいませんか?
私は今の天皇陛下と美智子皇后のお人柄は素晴らしいと思うし、皇族の方々には敬意を払いたいと思っておりますが、皇族の方々はあくまでも人間です。
人として最大限の敬意を払うのはいいですが、神様に格上げされてしまったり、偶像化してはいけません。
日本人が古来から持っている「天皇中心の神の国」への飢え渇きが、悪魔に用いられている。
最近、そのように思えてなりません。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。