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[ai] 白鵬関の発言を通して、偶像の神事なんて所詮こんなものと思った話

こんにちは^ ^

相撲も好きなクリスチャンブロガーの
ペパーミントあいです。

昨日も大相撲の白鵬に関することを
書かせていただきましたが、
今日も白鵬関に関する記事です。

今日は彼の発言を聞いて、

「偶像への神事なんて所詮、
こんなものか」

と思った話をしたいと思います。

名古屋場所直後のサンデースポーツにて

2017年の大相撲名古屋場所、
横綱白鵬関は史上最多の39回目の
優勝を果たしました。

この場所は通算勝星数の記録で
歴代1位にもなった白鵬。

その白鵬が、名古屋場所を終えた直後、
NHKのサンデースポーツに生出演し、
ここでこんな発言をしていました。

「相撲は神事や伝統文化というより、
今はスポーツ。だから結果が全て」

恐らくは、

「強いけど品格がない」
「相撲はスポーツではなく神事なのだから、
ただ勝てばいいってものじゃない」

という、以前から白鵬関に対して
上がっている批判の声に対して
言ったものだと思われます。

白鵬関に対する批判の声

白鵬関が受けてきた批判は、
とてもたくさんあります。

その一つは、
昨日記事に書いた「懸賞金の受け取り方」
に対する批判です。

参照 : [ai] 白鵬関の振る舞いを通して、感謝の心を見つめ直した話

でも今回の白鵬関の発言は、

「横綱なら横綱相撲を取れ!」

という批判に対して向けられたものと
考えられます。

「横綱相撲」とは、
相手のどんな攻撃もがっつり受け止めて、
相手に全力を出させた上で最後は自分が勝つ、
という相撲。

かつての大横綱・貴乃花の相撲が、
今の私たちにとってはもっとも身近な
代表例かと思います。

でも白鵬の相撲は、
立合いで変わったり、
手を相手の顔の前に出して視界を遮ったり、
駆け引きをしたり、
ちょっと相撲の動きには見えない
肘打ちに近いカチ上げをかましたり、

とにかく相手に力を出させず交わし、
自分有利に進める、というもの。

これは他のスポーツではよくあることだし、
相撲でも横綱以外がやる分には
そこまで嫌われることはありませんが、

こと多くの相撲ファンの目には、
「横綱とは横綱相撲を取るもの」という
思い込みがあるので、

横綱らしくない、と思われてしまうのです。

2つの思いが湧き上がった

この白鵬関の発言に対して、
私は2つのことを覚えました。

①どんなスポーツでも品格は問われる

1つは、

「どんなスポーツでも品格は問われるのに」

という違和感です。

白鵬関の言う「結果が全て」は、
間違いではないと思います。

スポーツにおいては結果がとても大事です。

相撲だって、それによって番付が左右され、
生きるための収入にも関わります。

でも、本当に結果が「全て」なの?
勝ちさえすればいいのか?
という疑問は残ります。

結果は大事だけど、
「全て」ではないと思うのです。

どんなスポーツでも、
反則スレスレの手を使って勝てば
嫌われるし、

勝っても相手に対するリスペクトのない
選手は嫌われます。

むしろ、勝っても敗者をリスペクト出来る選手、
正々堂々と力を出し合って勝った選手が
賞賛されるのではないでしょうか?

去年行われたリオ五輪でも、
柔道の男子100キロ超級の決勝で、

原沢選手とちっとも組み会おうとしないで
逃げ続けて勝ったリネール選手には、
お客さんから大ブーイングでしたよね。

聖書にも「愛がなければ全てが虚しい」
とあります。

どんな上手い賛美も、伝道も、慈善事業活動も、
そこに愛がなければ何の価値もない、
と神様はおっしゃっているのです。

勝つためなら品格なんて関係ない、
何をしてもいいんだ、
強い奴が正義だ、

という考えは、
愛のない賛美や伝道と
近いもののように思えてなりません。

②偶像の神への神事なんて所詮こんなもの

同時に、偶像の神への神事なんて、
やってる側も所詮こんなものか、
と思いました。

白鵬関は相撲が神事であることを
全否定まではしないけれど、

神事ではなくスポーツだ、
と捉えているようです。

相撲の世界では横綱が締める綱は
神社のしめ縄と同じで、

横綱になることは神になることを
意味しています。

相撲独特の所作は全て、
神(神々?)に捧げるもの、
また悪霊を鎮めるためのものとして
行われています。

でも、やってる側の白鵬関は、
これを軽視しているようです。

相撲の神様に仕えようという気持ちや、
相撲の神様の前に恥ずかしくない相撲を
取ろうとか、

相撲の神様にこの1番を捧げようなんて気は
微塵もないんだろうなと思います。

偶像の神への神事なんて、
所詮こんなものか、
と思わざるを得ないです。

ホッとするし、ゾッとする

このことに対して、
私はある意味ではほっとするけれど、
ある意味ではゾッとします。

偶像崇拝を本気でしていない、
という意味では、
ホッとします。

でも、神を恐れる心を持っていない、
という意味では、ゾッとします。

しめ縄をつけられて神として
祀られたら、

人間自分が神だと思って
驕ってしまうのかな、

とも思いました。

神様の前に恥ずかしくない生き方がしたい

でも同時に、私もあまりちゃんと
イエス・キリストに仕えていなかったな、
と反省する気持ちになりました。

むしろ、私は自分のために生きたいのに
なんでイエス様に仕えなきゃいけないんだ、

という気持ちが強かったですm(_ _)m

今でも仕えきることは
出来ていないかもしれない。

でも、神様に捧げよう、
神様の前に恥ずかしくないように、
という気持ちがそこになければ、

どんな仕事も、作品も、
やっぱり虚しいものになってしまう。

相撲にしてもその他のどんな活動にしても、

「神様の前に恥ずかしくないものを」

という気持ちで行うことで、
良いものが出来るものと思います。

「神様の前に恥ずかしくないように」

このことだけは忘れずにいたいと思います。

それが出来ていなかったことを悔い改め
たいと思います。

そして、
そのことに気づかせてくれた白鵬関にも、
神様からの祝福と赦しがありますように。。。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

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