こんにちは^^
ペパーミントあいです。
今日はローマの信徒への手紙9章を読みました。
神はイスラエルの民を祝福されたけれど、人種としてイスラエル人として生まれた人がイスラエル人というわけではないということと、行ないによってではなく、信仰によって救われるのだということが書かれています。
行ないによってではなく、信仰によって義とされるのだ、ということは、このローマの信徒への手紙のこれまでの章でも、何度となく語られていました。
今回特に印象に残ったのは32節。
イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。(32節)
当時のユダヤ人が、いかに形ばかりの律法ばかりを重んじていたかが、感じられます。
人間はとかく、いいことをしたらプラス1点、悪いことをしたらマイナス何点と、行いに対して点数を点けがちですが、神様の目からみたら、それは違うんですよね。。。
神様の目から見たら、万引きも殺人も死に値する罪だし、殺してやりたいと思っているだけの人と実際に殺してしまった人も、同様なんだろうな、と思います。
(かといって、人間社会の法律で殺人を罪にしなくていいとも、殺意を抱いただけで死刑にすべきとは思いませんが;;)
どの道、人間は生まれながらにして罪を犯すように出来ているものだから、良い行いによってそれを帳消しにすることは出来ない。
ただ贖いの十字架を信じて受け入れること。
それが大事なんじゃないかと思います。
以上は、この章を読んでわたしが個人的に感じたことです。
きちんと詳しく知りたい方は、お近くの教会に行って、牧師先生から教えていただくことをオススメいたします^^