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[ai] クリスチャンの私がアスタリアをプレイする理由

こんにちは^ ^

ゲームも好きなクリスチャンブロガーの
ペパーミントあいです。

今日は日曜日なので、
ちょっとクリスチャンぽいことを書きます。

クリスチャンの私がなぜゲームが好きで、
アスタリアをプレイしているのか、
お話ししたいと思います。

私がテイルズを好きな理由

私がアスタリアを、
もとい、テイルズシリーズが好きなのは、

かつて、このゲームに
救われた経験があったからです。

その理由を語るには、
生前牧師だった父との関係に苦しんだことと、
最近教会生活に苦しんだことが
とても大きく関係しています。

父との関係に苦しんだ青春時代

私の父は亡くなりましたが、
生前はキリスト教会の牧師でした。

私が生まれた時にはすでに牧師だったので、
私は教会生まれの教会育ち。

でも、クリスチャンの両親に子供の頃から
聖書の教えを聞かされて育ったからといって、
順当にクリスチャンになったわけではありません。

子供の頃は何も考えずに教会へ行き、
お祈りをしたり賛美歌を歌ったりしていましたが、
歳を重ねるごとにキリスト教の習慣が当たり前の
生活に疑問と違和感を感じるようになりました。

聖書の教えにも、
疑問を感じるようになりました。

いくら両親や教会の先生たちが
「神様は素晴らしい」「愛のお方だ」
と言っても、
その時の私にはとてもそうは思えない。

その時の私にとって、神様とは

「ずっと監視していて、
逆らう奴は皆殺しにする恐ろしい方」

であり

「ちゃんと従おうとした人さえ
ほんの少しのミスで撃ち殺す酷い人」

でした。

でも、幼い時から教えられたイエス様のことを
信じたい気持ちもありました。

本当はそんなことない。
神様は私たちを愛して下さる素晴らしいお方だ。
そう思いたいけど、思えない。

そんな葛藤に苦しむようになりました。

私はその疑問を父にぶつけました。

聖書の専門家である牧師の父なら、
納得のいく説明をして、
私に神様は愛のお方だと分かるように
教えてくれると思ったからです。

でも、私の言葉が足りなかったからなのか、
父が私がイエス様に躓いている事実を認めたく
なかったからなのか、
全く会話がかみ合いません。

私は父に、未信者の人に
教えを説くように話してほしかったのに、
父はすでにクリスチャンになっている人
という前提の話しかしてくれない。

挙句は

「イエス様はこんなに素晴らしい愛のお方なのに
なぜ分からないんだ!?」

とか

「お前はゲームなんかしているから
おかしくなったんだ!」

とか、意味不明なことを感情任せに
訴えてくるものだから、

私は父にイエス様に対する疑問を
払拭してもらうことを諦めました。

いくら言っても「自分の娘」
「すでにクリスチャン」という
色眼鏡を通してでしか私のことを見てくれない
父に対するモヤモヤは消えませんでした。

父を赦せるようになったロニの台詞

そんな時ちょうどハマっていたゲームは、
テイルズオブデスティニー2でした。

TOD2のCDドラマには、
ちょうどその時の私と似通った
シーンがありました。

詳しい内容は忘れてしまいましたが、
カイルが何か事情があって
物凄く無茶なことをして、
お母さんのルーティが
物凄く怒るんですねぇ。。。

それは世間一般には良くないことなので、
怒られても仕方のないことなのですが、
カイルとしては事情があってのことだから
お母さんに分かってもらいたい。

でもルーティーは頭ごなしに怒るばかりで
全然聞いてくれない。

お母さんに分かってもらえない悔しさを、
カイルは兄貴分のロニにぶつけます。

「母さんは英雄なのになんで
あんなに分からず屋なんだ!」

そんなカイルに、
ロニは冷静に言いました。

「ルーティーさんだってふつうの親なんだよ。
親っていうのは子供を
決めつけてかかってしまうものなんだ」

……台詞は正確には覚えていないので、
適当ですすみません^^;

でも、このロニの言葉を聞いて、
私は物凄く救われた思いがしたんですねぇ。。。

カイルがルーティーに立派な英雄像を
求めていたように、

私も父に立派な牧師、人格者であることを
期待していたけれど、

父もふつうの人間であり、
ふつうの親だったんだなぁ、と。

ずっと父のことを赦せなかった私ですが、
親は子供を決めつけてかかる傾向があることが
分かったら、赦せるようになりました。

赦せるようになったら、
父のことを人としても牧師としても
とても尊敬出来るようになりました^ ^

ちなみにこのシーンは、
ゲーム中には出てきません。
CDドラマだけのオリジナルです。

教会に二度つまずく

父を尊敬出来るようになったからと言って
すぐにクリスチャンになったわけでは
ありませんでしたが、

色々あって、
父が亡くなったあとに
私はクリスチャンになりました。

でも、なったらなったで試練の連続で、
その後私は二度、教会に躓きます。

今はイエス様は好きだけど教会は嫌いな
状態です。

特に二度目の教会では、
行くたびに多くを求められて、
お前はダメな人間だと責められたような気持ち、
追いつめられたような気持ちになりました。

それでも教会には行かないといけないから
という義務感と、

次はいいお話が聞けるんじゃ
ないかという淡い期待を抱いて
無理して通い続けていたら、

ある日我慢の限界が来ましたm(_ _)m

完全に心が打ちひしがれて、
精神が病んで何もする気になれなく
なりました。

そんな時に出会ったのが、
アスタリアでした。

気晴らしにアスタリアを始めた

教会で精神が病んだ私は、
とても前向きな気持ちになれず、
仕事も全く手につきません。

しばらくは廃人のような日々を
送っていました。

でも、廃人のような日々も、
そう長くは続きません。

だんだん嫌なことばかり考えることにも
飽きて来て、

なんか久しぶりに思いっきり
ゲームがしたいなぁ、
と思いました。

でも、手元のあるゲームには
いまいちときめかない。

新しいゲームがしたい。

でも、なるべくお金は使いたくない。

そこで思いついたのがアプリゲーム。

かつてよく遊んだテイルズシリーズから
リンクとアスタリアが配信されていたので、
私はアスタリアをチョイス。

ハマって課金せずにいられなくなったら
どうしよう、という怖さはありましたが、
しばらくの間気晴らしにやるだけだからと
言い聞かせてスタート!

それがちょうど昨年の12月です。

おかげさまでしっかり気晴らし出来、
ハマったけど課金は少しで済んでいる
状態で今に至ります^ ^

神様が出会わせてくれたゲームと思ってます!

……なんか「キリスト教に苦しめられたのを
テイルズに救われました」と言っている
みたいになっちゃってますが、

そう言いたいわけではありません^^;

ぶっちゃけ教会には苦い思い出の方が
多いけど、学べたことも良かったことも
たくさんありました。

私にはその教会が合わなかったというか、
ついていけなかっただけの話です。

ゲームも神様が私に与えてくれた
ものだと思って感謝しています^ ^

「神様、教会が辛いんです」

と祈ると必然的に教会のことを思い出して
精神が病んでくるから祈れなかったけど、

「神様このキャラが欲しいです!」

という祈りなら出来たので、
良かったと思っています(笑)

そんな時に本当に欲しかった子が
引けた時の喜びといったら……!

「神様、私は世界中の人に伝道したいです!」
とかいう立派な祈りをしなければならない
束縛からも解放されました♪

くだらないことでも、
悪いことでなければ祈っていいんです!(笑)

心にもない立派なお祈りをするより、

くだらないことでも
心から願っていることを祈って、

与えられた時の喜びを覚えて
感謝できた方が、
よっぽどいいです!

そのことを学べた意味でも、
アスタリアにはとても救われたと
思っているし、

神様がこのゲームに出会わせて
下さったものと信じています。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

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